あぶ By あぶ

記憶


人の記憶とは曖昧なもので

大雑把な部分は覚えていることはできても細かい部分まで覚えていることは難しく
なくなってしまった部分は脳が補完すらしてしまうという
この補完は自分の持っている様々な情報や記憶に基づいて行なわれ
結果的にどこまでが事実でどこからが補完された部分なのかを自分では認識していないのだともいう

さらに
この記憶を他の誰よりも信じている
というより自分の記憶を疑うという事があり得ないわけで
単純に「間違いない」と確信している記憶は他の何よりも信じ込むものらしい
つまりは何よりも自分自身を信頼し、その記憶を信じているという証でもある

その理由はいかにもシンプルで記憶そのものが信頼に基づくものだからなんだとか
自分が最も信頼できる人間で他人はどれだけ親しくてもそこには一線を画してる
人は自分自身を他の何よりも信頼しその記憶を信じる生き物なんだと言われている
 
 
そして人は覚えたことを忘れてしまう生き物でもある
 
 
私の母はアルツハイマーだった
日に日に失われていく体力とともにその記憶も失い
数年前に会いに行った時には既に私のことはもうわかっていなかった
かろうじて身近で暮らしている姉の家族と弟の家族のことは覚えていたらしく私の事を弟だと思い話していた
だからその日は

わたしは弟として母と話して帰ってきた
それ以来わたしは母が亡くなるまで弟のままだった
 
 
義理の母もここ数年認知症が見られ施設に通う日々を送っている
一般的には認知症という病として扱う事もできるのだとも思う
事実、私たち夫婦も初めは病院に連れて行きお薬で少しでも進行を抑えられればと思っていた事もあった
でも、もう病院には行っていない

施設に通う母はとても病気とは思えないほど楽しそうだから

施設から帰ると「ただいま〜」という
しばらくするとまた「ただいま〜」という
そしてまたしばらくすると「ただいま〜」と・・・

朝ご飯に何を食べたかなんて覚えてはいない
自分が風邪をひいて夫婦で交代で病院へ連れて行ったことなんてなかったも同然(爆)
日々楽しく施設に通い自分にとって良き記憶の中で今を生きている

それでも時に襲ってくる不安や周りに対する気遣いで辛くなり調子悪くなる

でもその事すら次の日には忘れている(笑)

 
 
 

そんな曖昧な記憶の中で人は行きている

そんな人間でも
強烈な感情がそこに伴えばその記憶が薄れる事がないということもある

弟だと思いいつもの様に話していた母も
何故かわたしを見ながら涙を浮かべていた
そして握った手を決して帰るまで放そうとはしなかった

つい先日は義母の誕生日だった
仕事だった私たちは娘に花束とケーキを買っておいてもらい
私たちが仕事で帰りが遅くなる事を伝えてもらい
3人からのプレゼントとして花束を渡してもらった

翌朝、テーブルの上に一枚の紙を置いて義母は施設に出かけた

2016-04-01 11.42.26

ついさっき「ただいま〜」と言った事を忘れてしまっても
朝何を食べたかを忘れてしまっても
自分が体調を壊してしまったり落ち込んでしまった事は忘れてしまっても

誕生日を祝ってもらったことは一晩寝ても決して忘れる事はなかった

人の記憶とは儚く曖昧なものだとしても
とても感情的でとても美しいものでもある
としみじみ感じる

あっ、ちなみに義母の名前は「千恵」ではなく「千恵子」です!!(笑)

あぶ
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About me

アイスが大好き47歳、写真家

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